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震災の爪痕 [日記]

昨日は家人の先祖の法事があり、

お墓がある福島県の双葉町に行ってきました。


双葉町は、福島第一原子力発電所の5号機と6号機が立地しており、
事故の影響で現在もほぼ全域が
「帰還困難区域」(除染・復旧工事関係者以外の一般住民の自由な行き来が終日制限される)
に指定されています。


東日本大震災の被害の影響について
報道や人づてで「どれだけ大きいか」を見たり聞いたりして
分かっているつもりでしたが、
実際に、それも事故が起きている原発がある地域を
目のあたりにして想像以上に悲惨であることを実感しました。



私は2009年にやはり墓参りで一度
同町を訪れたことがありました。
海が近く自然も多く、ほのぼのとした田舎の町であり、
また偶然入った双葉町駅前にあった食堂のラーメンが
とても美味しくて、家人と「またいつか訪れたいね」と
当時は語っていたものです。

しかしその1年半後に震災が発生。
それからしばらくは立ち入り禁止地区になってしまい
お墓もどうなっているか分からずでした。


やっと立ち入り制限が少し緩和されて
訪れることが出来たのですが、
町並みはそのままなのですが住人は誰一人おらず。
津波が押し寄せた場所は何もなくなってしまい、
流された住宅の基礎が残っている状況でした。


つまり3.11以前と以後では
まったくの別世界に。。。。。
それが悲しい現実(涙)



このブログで何が「いい」「悪い」と
語るつもりはまったくありませんが、
少しでも現実を知ってほしいと写真をアップしました。



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=双葉町海岸寄り。津波に襲われて何もなくなってしまった場所に
 がれき置き場や作業場などがフェンスに覆われて設置されています。



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=立て看板には「思い出の品 一時保管所」の文字が



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=左手には津波で流された住宅の基礎が残っています


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=津波で流された住宅の基礎


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=手前は津波が押し寄せた所。奥は津波から逃れられた場所。
手前は原っぱになり、奥には住宅が残っています。



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=防護服に身を包み、お墓に向かう親族。
この地域に入るには、町内に数か所設けられているスクリーニング場で防護服に着替え、
放射測定器を持たされます。


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=地震で倒壊した建物。町内のあちこちで目にしました。



pho-1DSC07394.JPG

=至る所で電柱が倒れたり、傾いたり。電線が多くの場所で引きちぎられていました。



地震だけでも大きな被害でしたが、
さらに原発事故が重なると復旧や復興なんて言葉は
軽々しく発せられるものではないですね。


人生で初めて防護服を着用しましたが、
こんなもの着なければいけない地域があるのは
やはりおかしいと強く思う日でした。




【追記】訪れた3日後に地震が。。。


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